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骨のうたう
哀骨诗
图片来源:毎日新聞
〈戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ〉。詩人竹内浩三はそんな作品を残し、23歳で早世する。来月で生誕年。出身地の三重県伊勢市では追悼行事が予定されている▼
“战死,哀哉/军人之死,哀哉”。这是诗人竹内浩三留下的作品。竹内于23岁时英年早逝,下个月是他的诞辰周年。在其出生地三重县伊势市将举行追悼仪式。
映画監督をめざし、いまの日大芸術学部で学んだが、召集されて陸軍へ。〈ぼくがいくさに征(い)ったなら 一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな〉〈うっかりしていて戦死するかしら〉。入隊の直前、そんな独白のような詩を書いた▼
竹内浩三生前立志成为电影导演,曾就读于现日本大学艺术学部,后来应征加入陆军。入伍前,他曾写下:“此去入伍/未知前路/能立军功否”,“时有恍神/或即战死”这样的独白诗。
代表作「骨のうたう」では、前線で命を落とした自分が遺骨となって帰国する。〈帰っては きましたけれど 故国の人のよそよそしさや〉。予言めく一節そのままに詩人は終戦の年の4月、フィリピン?ルソン島で命を落とす。映画を撮る夢はかなわなかった▼
在其代表作《哀骨诗》中,他想象了自己在前线牺牲,遗骨被运回日本的场景。“遗骨尚有温/故土人情冷”。正如他在诗节中所预言的一样,在战争结束当年的4月,他便殒于菲律宾吕宋岛。最终未能实现自己的导演梦。
「失恋続きで家庭も持てず、戦後の日本を見ることなく旅立ちました」と話すのは、めいの庄司乃ぶ代さん(82)。死後10年を過ぎてから遺族が私家版の詩集『愚の旗』を出版し、世に知られる存在に▼
竹内浩三的侄女庄司乃代(82岁)回忆道:“他(指竹内)在感情方面连连受挫,一直没能成家,最终也没能看到战后的日本,就那样牺牲了。”在竹内战死10年之后,其家属自费出版的个人诗集《愚之旗》广为世人所知。
〈日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない〉。今世紀に入って発見された詩の冒頭である。単純な愛国青年であるはずもないが、いわゆる反戦詩人の枠にも収まらない。「赤紙」の時代を生きた若者の気持ちの揺れをありありと伝える▼
时至21世纪,新发现的一首竹内所写的诗中,开头写道:“日本啊/我的祖国/我再也见不到你。”竹内浩三并不仅仅是一位爱国青年,也不能把他简单定义为一位所谓的反战诗人。他在诗中,生动深切地表达了生活在“赤纸令状”(旧日本军队召集令状的俗称)时代的年轻人摇摆不定的心情。
もし彼がSNS全盛のいま世にありせば、と想像した。時代の風はとらえても、飾らず、背伸びせず、同調圧力にも屈しない。20代前半ならではの本音を鮮やかにツイートし、きっと盛大にバズっていたことだろう。
我想,如果竹内浩三生活在社交软件极尽发达的当今社会,即便他捕捉到了时代的风向,也必会毫不掩饰,不逞强,不屈服于外界压力,亦不屑苟同于他人。20岁出头的他或许会在推特上旗帜鲜明地表达自己在这个年纪所独有的真实想法,应该会掀起一场极大的思想热潮吧。
单词整理
いくさ
戦い、戦争;軍勢、兵隊。战争;军队。
私家版(しかばん)
個人が営利を目的とせず発行する書籍。私家版,个人版,不以营利为目的发行的书籍。
同調(どうちょう)
人の意見や態度に賛成し、同じ行動をとること。同调,赞同别人意见,采取相同行动。
背景补充
竹内浩三:年前(年)の5月12日、伊勢に、竹内浩三は生まれました。元気な人気者でマンガや詩や文章を書くのが得意でした。映画監督になりたいと日本大学専門部映画科に入学しましたが、戦争激化による兵員不足を補うため繰上げ卒業となり、兵隊になってフィリピンで戦死しました。23歳でした。兵隊になる直前に書かれた詩「骨のうたう」は、戦後の日本を透徹したものとして、多くの人の胸を打ち、竹内浩三は広く世に知られることとなりました。詩「骨のうたう」は竹内浩三が出征の2カ月ほど前に書いたと思われるものに、昭和31()年『愚の旗ー竹内浩三作品集』を発行する際、編集した親友の中井利亮が補作したもので、この形で広く知られています。愉快で、天真で、愛さずにはいられない若者竹内浩三。彼の遺した詩や日記、手紙などは、読む人の心にひびき、その言葉や人物について多くの人が語り、書き、歌って伝えてきました。
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本文编辑:佚名
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